【東京世界柔道選手権2019特集】【eJudo’s EYE】逆境で「異常性」の蓋を開けた丸山、「後の先の後」にやってくる世界・東京世界柔道選手権2019第2日評①
文責:古田英毅
撮影:乾晋也、辺見真也
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結局大会後になってしまったが、メモを見返しながら大会2日目の時点でのインプレッションを書かせて頂く。2日目は二本立て、これが一本目。二本目は独立して、阿部一二三の技術検証に割かせて頂く。
逆境で「異常性」の蓋を開けた丸山
まずは初出場、初優勝を果たした丸山城志郎について。凄まじかった。準決勝の天王山・阿部一二三戦で負傷が明らかになった際は「こういう星のもとに生まれた男なのか」と不運を感じるしかなかったが、そこにあってあの柔道。歩けない、掴めない中での「指導2」失陥直後、あの両手をぶらりと下げて阿部に迫る幽鬼のような丸山の姿を皆さんは見ただろうか。私は見た。その凄愴さにあの強気の阿部が組まないままに一歩、二歩と思わず下がる。武道館の畳の空気が歪んで見えた。まるで先輩大野将平がファスナーを開けて丸山の皮の下から姿を現したかのようなオーラ。リオデジャネイロ五輪女子78kg超級で金メダルを取ったエミリー・アンドル(あまりの気合いの入りように初戦から顔がグシャグシャに歪んでいた)以降、人のデッサンが歪むような様を見たのはこの試合の丸山だけ。こう言ってはなんだが、率直に、生で見れて良かった。井上康生監督は、五輪で勝つには強さのほかに「異常さ」が必要と常々語っているが、あの負傷なくば丸山のこの「人としての異常さ」が試合場で立ち現れることがあったであろうか。頂点に立つために開けねばならない最後の蓋があの負傷で開いた、ついにリミッターが外れた、とこのシナリオにはほとんど運命的なものすら感じた。
世界選手権を取り、直接のライバルである前王者に3連勝、そして「逆境」への耐性と異常さの発露。五輪代表選出に向けてもう積むべきものはすべて積んだと言っていいだろう。
追う側に立場を変えた阿部が挑みかかってくるこれからは精神的にきつい殿戦、もう一勝負あると考えるのが妥当であるが、実は競った内容以上に、丸山は阿部には戦術構図的にかなりの優位にある。阿部については今回、第2日評としてもう1本独立してその技術的閉塞についての検証を書かせて頂いたのだが、大雑把に言って阿部が現在「出来ること」(漸減している)に対しては丸山が既に蓋をし、罠を張っているという印象だ。双方の考える出口と入り口の数、そしてその噛み合わせを考えると丸山優位の条件分岐が圧倒的に多い。この準決勝の、「握れず」「踏み込めず」「跳ねられない」丸山が、「抱いて」「捨てて」「回した」浮技という選択も、丸山が阿部の柔道の「蓋のしどころ」を良くわかっているがゆえ、相手が良く見えているがゆえと考える。
技の切れ味、相手に後の先を取らせない(あるいはキム・リマンに先んじての反転回避を許さなかった)技術的な練り込みと書くべき部分は多いが、丸山の今大会を象徴するシーンは、徒手空拳(当たり前だが)で、組まぬまま阿部を一歩、二歩と下げたあの場面に尽きる。まず書くべきはそこと考え今大会の丸山評の第一としたい。
丸山の気迫に怖じた阿部
一方の阿部、準決勝に関しては月並みな評ながら、まず恐怖に負けたと見出しをつけるしかない。それまでの勝ち上がりは、自身の技術的な上積み云々には敢えて目を瞑り「出来ることで目いっぱい勝負する」という勝負師らしい割り切り。準備の時間の少なさを考えれば、半端にモードを変える(78kg超級の朝比奈沙羅はこれで力を減じたと感じる)よりは明らかに上策。むしろ久々「強い阿部」を見せたと総括すべき良い勝ち上がりだった。あっという間の片襟背負投から体を突っ込んで34秒で勝負を決めたアルベルト・ガイテロ=マルティン(スペイン)戦、41秒の間に2度投げ最後は両袖の袖釣込腰で畳に埋めたマー・ドゥアンビン(中国)戦、やりにくいマッテオ・メドヴェス(イタリア)の袖を一瞬で捕まえて大外刈に沈めた4回戦、パワー派で受けのしぶといヨンドンペレンレイ・バスフー(モンゴル)を引き手で後帯を握って無理やり固定して投げた準々決勝といずれも真骨頂。
ただ前述の通り準決勝は恐怖に負けた試合。負傷して掴めず、歩けず、押せばまっすぐ下がるという相手の状況を考えれば、足を出して押し込み続けること、本戦中盤にあと少しの勇を奮うことだけでおそらく終わった試合。丸山の技の幻影に関係なく試合を進めればそれで済んだ試合のはずだ。4月の選抜体重別における善戦が、戦術構造的には負けているが勇を鼓すことでこれを塗りつぶした、ということで言うと、今回は逆。試合の状況的には勝つチャンスが訪れていたが、打てないはずの投げの幻影に怖じて試合を失ってしまった。2連敗中の肉体的記憶に加え、「構造的には本来丸山には勝利し難い」という自覚、自分が得意の形(この場合は両袖)を作りに行くことが丸山の技の起動スイッチになるという勘、そして何より丸山の気迫がその足を止めたのだろう。
そして阿部、試合というアウトプットを見る限りでは(稽古ではなく)、技術の幅がやはり狭い。勝ち続けるために進化し続けねばならない現代柔道にあって阿部が出来ることは実は漸減していて、柔道の偏りと不自由さはむしろ増しているとすら感じる。これについては前述の通り別枠で1本書かせて頂いたが、まずは、片襟あるいは両袖からしか前技のスイッチが押せなくなっている自身を「変則」と規定すること、変則の生き残りの絶対条件である、自身の欲しい形に即した技術体系を徹底的に練り込むことを最優先すべきだという意見だけは先に提示しておきたい。一本柔道を標榜している阿部だが、今の柔道は紛うことなき変則である。ちなみにもう少し言っておくと、変則はこのレベルにあっては決して悪いことではない。今大会の王者は、自身の技の特性とあるべき「出口」を核に、極度に自分仕様に特化した技術体系を確立している選手が圧倒的に多い。単に強いだけではダメ、そこまで練らないと続けて勝てないところまで柔道競技のレベルは上がっている。その中には実は変則選手も多く、この場合はクラシカルな王道パターンが流用しにくいので自身の戦術体系の構築について投下せねばならない思考量が増えるというだけのことだ。阿部は自身の変則柔道を生かすための手持ちの引き出しが、まだ足りないと感じる。
そして長らくごく少数の強豪以外はレベルが高くなかった66kg級世界は、五輪前年にしていきなり豊かになって来た。阿部、このままでは階級の停滞期に投げまくって一定期間王座に就いたがそのあと波にのまれた選手ということになりかねない。実績を正当に評価さるるためにも、何よりその高い資質を生かすためにも、今一度の奮起に期待したい。
ヴィエル、ヨンドンペレンレイ、キム・リマン
66kg級、面白かった。日本勢以外に大会第2日男子の主役としてこの3人を紹介したい。
銅メダルのデニス・ヴィエル(モルドバ)はプレビューでご紹介させて頂いた通り2019年度上半期ワールドツアーの主役。柔らかく巧みな技とそれでいて密着一発勝負を厭わない勝負度胸は、もしこの選手が日本の若手なら凄まじいスカウト合戦が繰り広げられるだろうな、と夢想(ヴィエルはもう23歳であるので)してしまうほど。つまりはこの歳にして「伸びしろ豊か」という表現を使いたくなるセンスある柔道家なのだ。今大会は華麗な投技に加え、マニュエル・ロンバルド(イタリア)を腕挫十字固「一本」に仕留めるなど新たなモードも披露した。
ヨンドンペレンレイ・バスフー(モンゴル)は当日一緒に実況解説した小野卓志さんと「体力お化け」または「タフネス直リン」と盛り上がった肉体派。とにかく前に出る、抱く、しかし投げ切れない、しかし絶対に飛ばないという自分が選手なら絶対に戦いたくないスタミナファイター。この日は初戦で、足首負傷で担ぎ技がままならない2015年世界王者アン・バウル(韓国)を体の中に抱き寄せ続けて9分41秒戦った末に「指導3」で勝利、次戦のバグラチ・ニニアシヴィリ(ジョージア)戦も7分52秒戦って「指導3」で勝利、4回戦は俺は体力ばかりではないぞとばかりにシード選手タル・フリッカー(イスラエル)を3分18秒浮腰「一本」で投げつける。準々決勝では阿部一二三に終盤の大内刈「技有」で屈したが敗者復活戦でモハメド・アブデルマグウド(エジプト)を3分45秒「指導3」で退けると、3位決定戦では前述ヴィエルと対戦。
この、タイプが全く違う2人の3位決定戦が最高に面白かった。体力で押すガッチリ型のヨンドンペレンレイが抱き、細身のヴィエルが巧みな体捌きと足技で捌き続けて試合時間は4分を超える。ここで、ヨンドンペレンレイが抱きつきの小外掛を狙って突進すると、ヴィエルは逆らわず自身の体を後方に傾けて呼び込み「やぐら投げ」。そのまま相手の突進力を内股に変換して投げ切り決勝点の「技有」を得た。隣席の中村美里さんが「まったく自分の力を使っていない」と唸ったことが忘れられない、まさに柔よく剛を制す技。お互いが持ち味を出し切った素晴らしい一番であり、狭い目線であるが、この素晴らしい攻防が海外勢同士で繰り広げられることにはちょっと感動を覚えた。当日解説を聞いてくださった方はご存知と思うが、個人的に「推し」のヴィエルがここ東京の地で日本のファンの皆様にその業師ぶりを見せてくれ、筆者個人としても大満足であった。
キム・リマンは日本育ちの在日韓国人三世。相原中から新田高、東海大と進んだあの金琳煥選手である。これもプレビューや「選手名鑑」で既にご紹介させて頂いた通り、世界王者アン・バウルの影に隠れてツアーの起用自体が少なかったが、アンが兵役免除に関わる書類偽造の咎で謹慎、その期間にツアーで成績を残して今大会に辿り着いた。それでも扱いはあくまで2番手、アンと同時出場の今大会は人生を掛けた大会であり、前日60kg級評にならえばこれが彼にとっては「もう始まっている東京五輪」。ここでキムはアンの初戦敗退にも動揺することなく、いかにも新田高出身らしい決めの上手い投技で「一本」を連発。準決勝ではヴィエルを大内刈「一本」に仕留めてなんと決勝まで辿り着いた。決勝も丸山の投げに鋭く反応、あるいは後の先を狙い、あるいは先んじて飛ぶことで得点を回避せんとそのポテンシャルの高さを見せつけて存分にその存在感をアピールした。アン初戦敗退、自身は銀メダル獲得というこの結果は、来年の五輪代表争いに対抗馬として名を挙げるものとして十分。今大会男女合わせてメダル2個、決勝進出者1人のみ(キム)という絶不調の韓国勢を救ったという「手柄」もある。五輪代表の栄に辿り着けるか、今後も注目である。
「後の先」の“後”にやってくる世界
初日、2日目と競技トレンドの最前線である男子軽量2階級を見て特に印象に残ったのが「後の先」の技を巡る攻防の先鋭化。「後の先」技術の発達とさらにその先にある「後の先」ありきの攻防が、競技世界をもう一段変えようとしているとすら感じた。前日優勝したルフミ・チフヴィミアニ(ジョージア)が準決勝で永山竜樹の肩車の「決め」の段階を透かしての「技有」獲得、さらに決勝でも内股透に、相手の技に段重ねした釣込腰と後の先の技2発で勝利した印象が強かったゆえかとも思われたが、この66kg級でも、一筋縄ではいかない後の先を巡る攻防の果ての決着が頻発。もはや、少なくとも軽量級では相手を崩さぬまま軽々に背中を見せることはそれ自体が御法度だ。
ロンドン五輪以降の「組み合う」ルールの採用により、足技技術の向上、投技技術の向上、寝技の流行と立ち→寝の移行の早さ、超級におけるアスリートタイプ×担ぎ技ファイターの跋扈、と続く柔道競技の変化だが、次は「後の先の発達」が競技を変えるのではないか。ロンドン時既に標準化しつつあった所謂「めくり」(隅落)に、足を持てないことによる横車や抱分の復古と続いた後の先技術の発達は、いまやこれを前提として技術体系が編まれるところまで進んでいる。後の先技術の先鋭化とこれを巡る攻防の激化の果てには、いったい何が待っているのか。
もう少し考えたいところではあるが、少なくとも、この先おそらく、相手に背中を向ける行為の危険性はいや増す。半端な掛け潰れはますます許されなくなり「怯懦」は厳禁、文字通り相手に背を向けて逃げる選手は絶対勝てない世界が訪れるに違いない。「怖れること」のディスアドバンテージは比較級数的に上がっていく。既に、高い威力を誇るとともに攻撃偽装の定番であった巻き込み技が国際ステージでは激減している(巻き込み技と連動した『後袈裟固』という決まり技を書く機会が極端に減ったことでこれに気付いた次第)印象。そしてもう少し妄想を進めると、これは日本の担ぎ技ファイターにとっては大問題であるが、背負投や袖釣込腰で投げ掛かっては天井に顔を向けるようにして決め切る「背中で押し込む」技術は少なくなっていくのではないか。
前述の永山竜樹-ルフミ・チフヴィミアニ戦はもちろん、この日の3位決定戦阿部一二三-マニュエル・ロンバルド戦を思い出してほしい。いずれも最後の最後まで後の先を狙う相手が、「背中で押し込んで来る」ことを前提とした後の先の技で相手を投げつけている。阿部が裏を取られた隅落「一本」はなぜか取り消されてしまったが、間違いなくポイントである。現時点で映像で確認出来るものとしては、昨年のグランプリ・ブダペストにおける海老沼匡-ミクロス・ウングヴァリ(ハンガリー)戦などを挙げておく。
→[動画]海老沼匡vsミクロス・ウングヴァリ (2018年GPブダペスト)
既に後の先、あるいは相手が所謂「ネコる」(投げを予期して先んじてみずから回転して回避する技術の、競技者間での俗称)事態を意識してこれに蓋をすべく技を組み立てている選手に大野将平、丸山城志郎らがいるが、おそらく彼らが現在組みこんでいるような「詰める」技術がこれからの決めではメインストリームになっていくのではないだろうか。
あくまで現時点では予測、というより妄想の域を出ないがひとまずこのあたりで。「後の先」のさらに後、を巡る思考はもう少し練った上でまた世に問いたいと思う。
「鬼の柔道」阿部詩2連覇
阿部詩、強過ぎた。勝つことにどこか尖った「異常さ」を要求される現代柔道にあって、今大会「強さ」自体の異常さをその根拠として頂点に立ったのは73kg級の大野将平とこの52kg級の阿部詩の2名だけなのではないか。
阿部詩が技術的な引き出しを増やし続けていること、それが最大の強みであることはこれまで何度も書かせて頂いてきた通りだが、かつては「さほどやらない」と言っていた寝技で、それもあの剛力ケルメンディを、しかも腕緘(「腕緘返し」)で引っこ抜くのだから並大抵ではない。正対からの腕緘という技も相まってあのシーンには思わず「鬼の柔道※」襲名だなと唸った次第である。
阿部詩と大野将平に関しては、あまりに強く完成され過ぎていて、意外にも書くべきことはさほど多くない。ただ、阿部詩に関しては同日出場した阿部一二三との比較でその優位性を考えることは出来そうだ。阿部詩も実は一二三同様変則(一二三がより片襟を好み、詩が両袖を欲しがる)であるが、技種の多彩さはもちろん、どう持たせて、あるいは持って、いかに投げるかという技術体系の練り上げという面で数段上を行っている。また、52kg級と66kg級を比べると、相対的に詩のほうが地力が上であるということも大きな要素として指摘しておきたい。この2つ、阿部一二三の再浮上には大きなヒントになるはずだ。
銅メダル確保の志々目愛は、脚の負傷を抱えての銅メダル獲得。最後はもはや脚などどうなってもいいとばかりに得意の左内股を連続して仕掛け、満場の感動を誘った。そもそもの出場自体が奇跡的な、魂を投げ打つような試合ぶり。現状では、同時代に阿部の存在なくば間違いなく時代の主役であった、と言うしかないのだが、その活躍を大いに讃えて、いま一段の戦いに期待したい。
そして、リオデジャネイロ五輪以降きわめて限られた数の強豪のみが上位を争う「焼け野原」状態であった52kg級であるが、同じ状況であった70kg級や男子66kg級同様ここに来てようやく陣容厚くなってきた。ワールドツアーで活躍したルハグヴァスレン・ソソルバラム(モンゴル)が2回戦敗退、同じくジェフェン・プリモ(イスラエル)が1回戦敗退と期待の新人2人がまったく勝ち上がれなかったことには、階級全体のレベルアップが感じられる。今回の上位陣のほかに東京五輪で難敵になりそうなのは、リオデジャネイロ五輪2位のオデッテ・ジュッフリダ(イタリア)。かつての「指導」奪取型から足技に舵を切って再浮上中だが、今大会3回戦ではまさにそのルハグヴァスレン・ソソルバラムを、凄まじい出足払「一本」に沈めている。イタリアは極端に五輪にフォーカスして強化計画を組み立てる国。今大会は次戦で決勝まで進んだナタリア・クズティナ(ロシア)に5分を超える試合の末にかなり微妙な判定で敗れたが、本番は間違いなく一段上の戦いを見せてくるはずだ。
※木村政彦氏の異名であり、著書。「鬼の柔道―猛烈修行の記録」(1969年、講談社)