【eJudo’s EYE】なぜ替えたのか?過去と未来の閉塞示した日本の決勝オーダーに落胆/ブダペスト世界柔道選手権2021総評
文責:古田英毅
Text by Hideki Furuta
自問自答、なぜここまで「決勝オーダー」に怒ってしまったのか?
「カッコ悪い!」。放送席のマイクサイドで現地からのLIVE映像を見つめながら、思わず唇を噛み締めてしまった。事ここに至ってまだそんなことをするのか。最終日の男女混合団体戦、日本の決勝オーダーが開示された瞬間である。日本の男子はこれまで全勝で来た団体戦専用メンバーを全入れ換え。73kg以下の原田健士、90kg以下の増山香輔、90kg超の佐藤和哉の若手3名をすべて下げて、73kg級世界王者の橋本壮市、90kg級銅メダリストの長澤憲大、そして100kg超級で前日世界一になったばかりの影浦心を投入した。いずれも世界選手権メダリストのベテラン。保険で1人くらいは入れ替えるかな(フランスは初戦でシリル・マレを起用しており石橋を叩くなら影浦を使う可能性があるかと推測)、とは思っていたがなんと「全とっかえ」。なりふり構わぬ超安全策である。イースタンリーグ(二軍)の優勝決定戦にずらりと一軍のレギュラー選手を並べるがごとく、相手に比して「余り」のあり過ぎる巨大戦力。
絶対に勝つんだ、勝負は厳しいものなんだ、外野から文句を言うんじゃないよという向きは、この大会これまでの様相と、フランスのメンバーを見てなおそう言えるだろうか。「採点表」でも書かせて頂いた通り今大会は強国ほぼすべてが若手中心の三軍構成で臨む育成大会の様相。その中にあって日本はまさに巨大戦力、小魚の中に紛れ込んだ大魚の体で全試合4-0のパーフェクトゲームで「育成シフト」の他国を呑み込んで来た。そして迎えた決勝も、フランスの男子オーダーは全員が「誰それ?」の若手。73kg級のジョアン=ベンジャマン・ガバは、ワールドツアーどころかコンチネンタルオープン派遣もまだない20歳のジュニア選手で昨年の欧州ジュニアは予選ラウンド敗退、90kg級のフランシス・ダミエも同じくジュニア世代の19歳でワールドランキングは356位、昨年の欧州ジュニアで優勝した期待の新人ではあるが同じくワールドツアー派遣はなく、2019年の世界ジュニアは「2コケ」。90kg超のセドリック・オリヴァは年齢こそ25歳だがワールドツアー出場8回の最高成績は2019年のGPチュニス5位、これがただ1度の入賞。到底、橋本・長澤・影浦のメダリストトリオが相手を「してあげる」義理のある選手ではない。
とはいえ。次の一瞬筆者はいったん冷静になり「なぜ俺はこんなに怒っているんだろう?」と自問自答することになる。「世界選手権なのだから、チームのレベルを落とす落とさないはそれぞれの国の勝手。日本は確実に結果を残そうとしただけ」「4連覇が掛かっている」「五輪で確実に第1シードが欲しいということ」「石橋を叩く作戦は指揮官としては当然」「単に層の厚さの問題では」、どれもそれだけ聞けば頷ける理屈だ。話としてはわかる。理屈的には十分アリのはずである。しかしこの生理的な嫌悪感はなんなのか。「どこも選手落としてるんだから、少し空気を読めよ」という矮小な「イベント盛り上げバイアス」では括り切れないこの怒り、「愛想が尽きた」とでもいうような絶対値の高い感情はいったいどこからやって来るのか。
これを考えることが、この世界選手権、さらに敷衍してここ5年の日本代表の失敗を語る切り口として適切であることに気付いた。あまりに語りたいことが多すぎる今回のブダペスト世界選手権における日本代表の失敗、要領よく話すにはここを入口にするのがいいのではないかと思う。かなり遠回りして戻ってくる、少々まどるっこしい旅になるかもしれないのだが、しばしお付き合い願いたい。
この決勝で日本は何を得たのか?
まず超近視眼的視野で、この男女混合団体戦のことのみを考えてみる。この決勝で日本とフランスはそれぞれ何を得たのか。フランスはジュニア世代でこれから起用していこうか、という若いガバに、国を背負ったハイプレッシャー状態で世界王者橋本壮市に挑むという経験を積ませ、なおかつ、GS延長戦2分近くまで粘って「やれる」という手ごたえを得た。長澤と時間一杯、世界選手権決勝という大舞台を戦ったダミエも同様である。そもそもジュニア2人を含む「三軍」で合計4試合やって準々決勝ではジョージアに競り勝ち、最終的には銀メダル獲得である。多分に女子の充実に助けられたところはあるが、女子の強さという自国の特徴をテコに、しっかり男子の次世代に経験を積ませているわけだ。
では日本が得たものは何か。新添左季(本来は個人戦で金メダルを獲っておかしくない格である)のガイ打倒や秋場麻優の実力を超えた奮闘という成果を得た女子はまだいい。橋本や長澤との対戦経験をわざわざ呉れてやった男子は、一方的な「ギブ」。「テイク」がゼロだ。五輪で第1シードが確実に欲しかった、と言うのであれば。ここまで世界選手権を3連覇している日本の団体戦獲得ポイントは圧倒的。結果として12000ポイントを追加、合計32100ポイントで第1シードをキープしたが、実はこの試合で負けたとしても日本28500ポイント、フランス25650ポイントで順位は変わらなかった。そして第1シード権を獲得して終わったところが、最終的にはロシアがランキング4位の第4シードとなったので、五輪本番の組み合わせは準決勝でロシア(か韓国)、決勝でフランスというもっともキツいものだ。少なくとも「シード権を得る」ということではこの挙に意味はなかった。
これでは、中身がどうあろうが単に「4連覇」という称号が欲しかったんでしょうと言われも仕方がない。目先の1勝のためだけに貴重な機会を浪費したと言われても、個人戦で負けが混んだから団体戦の優勝で景気よく締めたい、そのために「小さな冒険」すらしたくなかったんでしょう、と言われてしまっても仕方がないはずだ。
「動きたくてもがんじがらめ」ここに停滞したこの5年の日本の姿が被る
今年の体重別柔道日本一(選抜体重別王者)の増山と佐藤は、そして講道館杯2連覇の原田はそんなに信用出来ないのか。今回の相手の格はこれら3人にちょうどいい、というよりも、彼らが格上としてしっかり勝たないとこの先の日本はやっていけないくらいの相手である。対戦相手の手ごたえまるでなかったこの大会で、彼らの出場に意味があるとすれば、「国の看板を背負うプレッシャーの中で勝って優勝すること」だったのではないか。そして今回のフランスはそれが十分可能な相手だったのではないか。
そして何より。ここを強調したいのだが、選抜体重別の不格好すぎる代表選考とこの世界選手権を通じて日本が突き付けられたのは、極端な1,2番手偏重による若手の経験のなさ、業界全体としてのワールドツアーでの経験の少なさ、そして層の薄さであったはずである。毎日ガッツリ、嫌になるほどこの事実を突き付けられ続けた7日間を経てなお、若手の強化を捨てるのか。個人戦で十分戦い、実績も「余る」くらいに積み上げて来たベテラン3人を使うのか。原田・増山・佐藤の3人を遠路はるばるハンガリーまで連れて来たのはロシアの聞いたこともない4番手選手やウクライナの無名選手と「勝って当然」の花試合を演じさせるためだったのか。コロナ前から度々私は、もっと若手選手、中堅選手をワールドツアーに出す制度があればいいのに、と愚痴ってきた。とにかく若手に、わけても社会人になったB強化候補たちに、試合の機会自体がなさすぎるからだ。もちろんオフィシャルの答えではないがそこで伝え聞くのは「到底予算がない」という事情だった。では普段予算が足りずにツアーになかなか選手を送れないという日本が、遠路はるばるハンガリーまで3名を増員して送り込み、挙句課した課題が「ウクライナとロシアの無名選手に勝って、あとは終わり」なのか。これは本当に収支が合っているのか。
おそらく、「そうしなければならない」事情があったのだろう。井上康生監督をはじめ極めてモノが見えているいまの強化スタッフが、豊かなワールドツアーに取り残されているおのが現実、若手の強化で負けている現状、いますぐにでも若手をツアー文化にジョインさせねばならないという切迫感、これを感じなかったはずがない。連盟なのかスポンサーなのか、とにかく4連覇を絶対譲れないという至上命題を課された、がんじがらめの事情があったのだろう。
そしてこれがまた、ストレスをかきたてるのだ。これはまったくもってこの5年間の日本の縮図ではないか。
ロンドンからリオの日本には、揚がる勢いがあった。命を掛けてこの仕事に立ち向かってくれた強化陣の苦労と努力には本当に頭が下がる。ただし冷静に振り返ってみれば、それはロンドンで露になった「凹み」を埋め、足りない部分を盛り、わかりやすく欠点をクリアしていく、やるべきことの見えやすい作業でもあったはずだ。これは成功を見た。リオ五輪に臨む直前、我々が日本代表のテーマを「復活を見せつけることだ」とシンプルに、実に躊躇なく言葉に出来たのはこういう事情がある。苦しい戦いであったがやるべきことは明確であり、そしてそれは決して手に届かないところにあるわけではなかった。
一方で、「この基調を引き継いだ」形となっているこの5年間はどうであったか。ロンドンからリオの4年間が井上康生監督の著書の名前を借りて「改革」であったとすれば、勢いとスピード減じたこの5年間は安定、厳しい言い方をすれば「停滞」であったと喝破する。特に、コロナ禍による1年延期で、これが予想以上に露になってしまった。
リオまでのやり方の先には、明らかに「天井」があった。例えば度々書かせて頂いている柔道界最大の矛盾である「選抜体重別」の問題だ。明らかに矛盾している制度なのに、明らかにここに病巣があるのに、誰もがそれをわかっているのに、組織内の事情に足を取られて絶対に手が付けられない。出なくていい選手が出なければならない、やらなくていい試合をやらなければいけない、選ばれることが決まっているのにそう言ってはならない、試合に出られる状態なのに重症を負ったことにしなければならない、もう代表選手を定めて強化を始めたいのにこれが終わるまで何か月も対象選手を決めることさえままならない。「嘘」は本質的な強化の天敵だ。これらすべての矛盾を彼らに強いるのはスポンサー、放映権、開催地事情。つまりは「お金」だ。
リオまでにやるべきことほぼすべてをクリアして階段を登り、この先は聖域である既得権益の分解に手を突っ込まないとこれ以上の進化はない。賢明な強化サイドはこれを百も承知であったはず。しかし残念ながら、結果としては厳しい言い方だが、「そこまでの肚はなかった」と振り返られてしまっても仕方がないのではないか。筆者は、「代表早期内定制度」が生まれたときに、手を打った。快哉を叫んだ。よくぞやってくれたと思った。ついにあの病巣に手を突っ込んだ、天井を破ろうと今の強化は奮闘しているぞと。時間が経ち、「早期内定」制度自体の評価は当然変われども、あれが壮挙であったという筆者の感想はいまもまったく変わらない。強化は本当に頑張ってくれた。しかし、ワールドツアーという日本の対立軸の進化のスピードには、これではついていけなかったのである。コロナ禍でさらに差が広がった結果、天井を突いた早期内定制度はあくまで弥縫策であったと振り返らなければならない。土壌細る日本がワールドツアーの爛熟に対峙するに、「聖域あり」の強化ではついていけなかったのである。
強化は、既得権に縛られてやらないほうがいいとわかっている大会をやらねばならない。それが本質的でないとわかっても、「名」を捨てて「実」を採るべきだと思っていても、しがらみと大人の事情にがんじがらめでやりたいことがやれない。この苦しい姿が「7日間とっくり若手の強化の重要性を見せつけられ、そして目の前にその大チャンスが転がっているにも関わらず、誰もが納得する超絶安全策を取って目先の結果を持ち帰らなければならない」決勝オーダーに被ってしまった。私たちは1秒で、いま日本がぶつかっている、どうしようもない構造的閉塞を見せつけられたのだ。しかも形上の勝利を得ることは間違いなし、この病巣が弥縫されて一時見えなくなってしまうことは確実なのである。
これが、私が感じた生理的嫌悪感の理由。「カッコ悪い」という言葉に集約された感情のもとなのだと思う。
なぜファンは怒らないのか?
瞬間あまりに多岐にわたりすぎて言葉にならなかった怒りの感情について、もう少し。後から考えると、開示の時点で「どうせファンもメディアもスルーするだろうな」と思ってしまって勝手に怒ってしまう自分がいたことに気付いた。果たして目立った議論巻き起こらず。これは事(全員交代策)の良し悪しの評価を超えた問題だ。すこし皆、大好きな柔道というジャンルから距離を置いて考えてみて欲しい。井上康生監督体制は、この世界選手権の1ヶ月後に解消されるのだ。もし他の競技で、もうすぐ退任が決まっている監督が育成大会と化した場を「若手全とっかえ」でベテランのみで戦って大勝したらこれはスルーされて済むだろうか。例えばサッカーで、仮にワールドカップのような大きな大会があって、その直前に冠の大きい国際大会に出るとして、他国はU-23なりU-20なりで構成して実質は育成大会の様相。その中で、もうすぐ退任が決まっている監督が弱い他国をボコボコにした挙句、若手を全員下げて本番には出ないと既に決まっているベテランだけで決勝を戦って大勝したらただで済むだろうか。井上監督にそんな意図は絶対にないと断言するが、ファンから「自分の時だけ結果を出せばいいのか!日本の将来はどうでもいいのか?」と疑問の声が挙がるのは必定である。
これが、ない。強化の側から特に釈明もない。良し悪しに関わらず、「なぜこの起用に至ったのか?きちんと説明してもらわないと納得できない」の疑問の声はあってしかるべしである。当然選手には説明したのだろう。であれば、ファンにもトクとこの不格好な采配の理由を説明して納得を求めて欲しかった。
なぜファンは怒らないのか。早い話が、ファンも大して海外の選手に興味をもっていないから、日本のこの陣形が適切かどうかを判断できないのだと思う。代表の強さはファンの鏡。「議論がない」こと自体が日本の土壌の貧しさを示している。「評」や「代表採点」で、日本の選手の自己理解の低さは、「他者へのまなざし」の不足によるものだと幾度も書かせて頂いたが、私たちファンにもまさに「他者へのまなざし」が欠けているのだ。
ここでも語りたい「ワールドツアーに置いて行かれる日本」
そしてこのあたりが「代表とファンは1つのもの」と強く思うところなのだが。「日本人はワールドツアーを見ない」、これは一種当たり前のことである。だって、「知っている人」が出ないのだから。どんなにスポーツが好きだって、柔道が好きだって、最初の入り口は、知り合い(あるいは知っている人)がその大会に出ることであるに決まっている。インターハイや全中を「自分の子どもが出るから見る」のは、極めて普通のことだと思う。そして限られた数人だけが、年間1回か2回出るだけの「国際大会という見世物」に関わる人間の数は極めて少ない。出ないから見る人がいなくて人気が出ない、人気が出ないから(お金を生まないから)選手を出せない。これはまったくもって不幸なスパイラルだ。日本は選手もファンもまさに丸ごと、あの豊かなワールドツアー文化に置いてけぼりなのである。
筆者はある年、全日本柔道連盟の「強化フォーラム」にパネリストとして参加した。その場である所属のコーチが、「自費でのコンチネンタルオープン参加を認める制度を検討して貰えないか」と発言した。これはある意味当然の要求であったと思う。しかし強化委員は言下に「強化の仕切りに従って欲しい」との旨発言して、一瞬でこの話を打ち切った。「所属と強化の情報共有とコミュニケーションを図るという趣旨の場で、理由も言わずにいきなり全否定するのは凄いな」と目を丸くしたことであったが(※学生体重別や実業団個人の優勝者から年1回国際大会に選手を送り込む枠は既にある。橋本壮市や濱田尚里はこの枠をきっかけに出世した世界チャンピオンだ)、この先は土壌は細り、連盟の資金も枯渇する。おそらく、近い制度が認められるようになるのではないか。
そして、強化という面はもちろん、人気という面からも、ワールドツアーという場をうまく利用するという策は、検討するに値すると思う。遥か昔、ワールドツアー創設時にマリウス・ビゼールIJF会長が語った「サッカーのように、週末どこかでビッグゲームがあり、それを全世界がTV中継で見守る」世界は、スケール感こそまだまだ足りないが、往時に比べればコンテンツ自体はかなり熟して来た。地理的なディスアドバンテージがある以上、独自にワールドツアーの対立軸を東アジア地域まるごとで何か考えるべきかもしれないし、もっともリソースを割くべきは国内の土壌を豊かにすることであるべきだが、「ツアー」との付き合い方はもっと考えて良いのではないか。この5年間の日本の失敗はまさに、爛熟し成長しレベルアップし続けるワールドツアーとの「付き合い方」にあったのだから。
五輪代表活躍への期待と、懸念
見方を変えれば。コロナ禍、そして五輪が被ったことによるこの「臨時の世界選手権」、第1代表でなく第2、第3、下手をすると第4代表までをも動員せねばならなかった今回は、日本のもっとも苦しいポイントにジャストフィット。日本代表の弱点をもっともわかりやすい形で、極大化してみせてくれた大会であった。
ここであらためて浮彫りにされたのは、日本は、少数の有望選手の強化にリソースを投入して、五輪に勝つことに「全振り」して来たということだ。何をいまさらと言われるかもしれないが、これほどまでにこの事実が、身に染みた大会はいまだかつてない。
今回の五輪代表は強い。失敗などはちょっと想像し難い強力ラインナップだ。ただしブダペスト世界選手権の敗戦(敢えてこう総括する)を考えるに、全体的な構造としてはたった1人の強者を生み出すために、「層の厚さ」を捨てて来たと捉えられて致し方ないだろう。(この「層」は2番手3番手でなく、7番手や8番手、ジュニアの上位選手を含めたもっと太い選手帯を指す)
ちょっと意地悪な言い方をすれば。今の代表選手たちは少年柔道最加熱期の産。そのころ本人が勝っていたかどうかに関わらず、勝利こそ価値であり、生き残ったものの後には「焼け野原」しか残らない時代を過ごした少年少女たちだ。つまり、子ども時代の焼け野原を生き残った大人たちを集めて、もう1度焼け野原を作り出し、代わりに極めて強い勝者1名を生み出した、そんな構図であるとも言える。
でも、というか、だからこそ今回の代表は強い。国内の基盤脆弱化と対抗軸であるワールドツアーの充実で構造的には負け負けのはずなのだが、五輪候補集中強化で国際大会の成績はむしろ伸ばしている。成績上の上昇カーブは継続。男女合わせて見れば、最強国の地位を保っていると言っていい。しかしこれは、極めて限られたものだけが強い、トップの成績は伸びるか育成基盤は細り続けるという、砂上の楼閣だ。そしてこの先この細った育成基盤と「構造的には負け」の制度から、これだけ強い代表が出せるかというと、おそらくもう難しいだろう。細くなってしまった砂の柱は、もう楼閣を支えきれない。
だから、今回の日本代表、スーパーチームと呼ばれて然るべきラインナップの日本代表は、黄昏を迎えた日本が打ち上げる最後の花火になる可能性もある。
だからこそ、切実に、勝って欲しい。そして、だからこそ、このまま勝ってはいけない気もするのだ。勝って喜びたいけれど、結果を残してしまったら、この失敗に気付くチャンスを我々はまたもや失ってしまうのではないかと、それが怖いのだ。構造で負けたのならハッキリと結果でも負けて、それこそ焼け野原から出直したほうがいい。そうとすら思ってしまうのだ。少なくとも、世界選手権男女混合団体4連勝などという小さな看板のために、「実」を失って平然としているような、そんな世界はもう続かないほうがいいと思うのだ。
最善シナリオは、日本代表が勝って、でも勝って兜の緒を締めること。勝ってなお「日本は勝ったけど、決して成功したわけじゃない」と我々が警鐘を鳴らし、それに多くの人が気づいてくれること。骨身に染みて、全体の構図を考え直す(五輪オーバービューでも書いたが、業界全体が価値観を「豊かさ」に振り直すこと)こと。
長くなり過ぎるので、このあたりで締める。
文章になるとすさまじく長くなってしまい、そしてまだまだ語りきれないのだが、あのオーダーを見た瞬間、筆者の脳内にスパークした「とても一瞬では伝えきれない不安、怒り、不満、諦め」の電流の内容はこれだ。本当に、大げさでなく、一瞬でここまでの内容がぶわりと頭に浮かんだのだ。悔しかった。情けなかった。よくぞ業務を続けられたものだと、今でも、思う。
日本代表の健闘を、祈る。