【東京世界柔道選手権2019特集】【eJudo’s EYE】「始まっていた五輪」に置いて行かれた髙藤、千載一遇の好機逃した渡名喜・東京世界柔道選手権2019第1日評
撮影:乾晋也、辺見真也
文責:古田英毅
メダリストたちの場内解説面白し
突然だが、今回全日本柔道連盟が会場で行う「音声ガイド」の解説者を務めさせていただいている。初日のメンバーは小野卓志さん、西田優香さん、中村美里さんと、筆者以外は超豪華。場内のチラシに載せてあるQRコードからアクセスし、スマホを経由して試合を見ながらほぼリアルタイムで音声を聞いて頂くことができる。もちろん無料である。イヤホンのない方は、プログラム販売所で無料で配布を受けられる(数に上限あり)。
これが手前味噌ながらなかなか面白い。私個人としても、試合を見ながらメモを取りながらしゃべりながら、聞きたいことばあればその場でメダリストたちに質問出来てしまうという超豪華な空間だ。きょう(初日)は、小野さんがこの後決まる技を次々当てるという神がかりな的な解説ぶりを披露してくれた。いまいち周知が行き届いておらず、アクセスする人数が伸び切らないのが勿体ない。会場にいらしたら、会場各所の壁、チラシなどに載っているQRコードからアクセスして欲しい。「#2019世界柔道」で質問も受け付けています。よろしくお願いします。
と宣伝と見せかけて。というわけで私は日中とんでもない長時間喋りっぱなしで物理的に体が塞がっており、レポート、直前プレビュー、全試合結果をこなして少しでも睡眠をとるとこの「eJudo’s EYE」を吟味したり書いたりする時間がほとんどない。きょうはどうしても1時間確保したかったのだが、どう頑張っても30分が限界だ。それでもなんとか鮮度あるタイミングでインプレッションをお伝えしたいと、短い時間で「eJudo’s EYE 簡易版」的に日々の所見をお伝えしたい。箇条書きに近い形でも、毎日お伝え出来ればという次第である。
「始まっていた五輪」に置いて行かれた髙藤
髙藤直寿が衝撃的な敗退。準々決勝でこの日絶好調のシャラフディン・ルトフィラエフ(ウズベキスタン)の内股を受け、膝をついてバウンドしたところを押し込まれて一回転。「一本」で沈んだ。永山竜樹との3位決定戦の評価は置くとして、常のワールドツアーで髙藤がルトフィラエフに負ける、しかも投技で「一本」を取られるなどまったくもってありえない。3回戦でアウトサイダーのハクベルディ・ジュマエフ(トルクメニスタン)の巴投に宙を舞って「技有」を失う(危うくヘッドディフェンスで一本負けだった)シーンもあったし、相手のクロス組み手を極度に嫌がって剥がすシーンも散見された。
これを受けて最初に考えるのは、単純に調整が上手くいかなかったという可能性。かつてブダペスト世界選手権の決勝では、投げられない自信があるゆえ相手のクロス組み手を敢えて持たせて自分の技に変換していた髙藤が、危険を感じて幾度も横にずれて回避する。最初にこちらがコンディション不良の可能性を考えるのは、当然と言えば当然だ。だが髙藤は決してここまで動きが悪かったわけではなく、むしろ相手が良く見えていると感じられた。好不調のベンチマークである小内刈も出ていた。決して悪くない髙藤が振られる、投げられる、相手の体の強さと勢いに持ってかれる。なぜなのだ。
これとまったく同じ感想を抱いた経験がある。ほかでもない、2016年の夏だ。トーナメントが一巡して、髙藤の出来は決して悪くないのに他の選手が巻きあがり過ぎていたあの1日。一段コンディションを上げて臨んだ髙藤が、二段も三段も上がった相手に置いて行かれた。あのリオデジャネイロ五輪の、これは再現だ。五輪という異常な場に向けて自らを研ぎに研いで来た強者たちが集ったあの空気が捻じ曲がるような磁場が、再び東京に立ち現れたかのようだった。
ここで気付くのは、これまでとは人が変わったような凄まじい出来で準決勝に残ったベスト4がいずれも「2枠」を行使した国の選手であり、全員が過たず同国の「2番手」であること。優勝したルフミ・チフヴィミアニ(ジョージア)は欧州王者とはいえあくまで1番手はアミラン・パピナシビリだし、シャラフディン・ルトフィラエフ(ウズベキスタン)はツアー上位常連の強者だが重用されるのは勝ちぶりが派手なリオ五輪の銅メダリスト、ディヨロベク・ウルゾボエフ。グスマン・キルギズバエフ(カザフスタン)は世界王者のイェルドス・スメトフの下で万年2番手の地位を余儀なくされているし、王者級の力を持つ永山竜樹も序列上は世界選手権2連覇中の髙藤直寿の下に甘んじている。
彼らは、今大会で勝たない限り絶対に東京五輪の目がない選手たちだ。勝って、圧倒的な実績を誇る一番手を黙らせないと、一生オリンピアンの座に手が届かない選手たちだ。会場は同じ東京、同じ日本武道館だが、彼らにとってのオリンピックは2020年ではない。今年、この日の日本武道館で行われる世界選手権こそオリンピック。優勝すること以外に許されない、人生全てのリソースを注ぎ込んで戦わねばならないギリギリの場なのだ。
同じ会場で、五輪はもう始まっていた。異常なほどに研ぎ澄まされた意志と肉体が同じ場所に密度高く集まることで出来上がった、あの空間にまたも髙藤の進化は追いつかなかったのである。ディティールの検証は行われるべきだが、まずこの日感じた大きなフレームはこれ。髙藤の意外な苦戦と戸惑い、2番手たちが作り出した「五輪」に再び髙藤が置き去りにされた1日だった。
ついに訪れた60kg級の潮目
プレビューでも少し触れさせていただいたが、ロンドン五輪以降長く同じメンバーで上位層が固定されていた60kg級世界についに風穴が空いた。キルギスバエフがスメトフに表彰台から蹴落とされたが、前述の「2番手」4人に、ロベルト・ムシュヴィドバゼ(ロシア)をとディヨルベク・ウロズボエフ(ウズベキスタン)を倒したこの日のMVP、23歳のヤン・ユンウェイ(台湾)に、ダシュダヴァー・アマルツヴシン(モンゴル)を壮絶な投げ合いの末に制してベスト8入りした18歳のクバニチュベク・アイベク=ウール(キルギスタン)。長年オルハン・サファロフ、アミラン・パピナシビリ、ダシュダヴァーにガンバット・ボルドバータルと「同じ面子」で回していた上位層がついに突き崩されつつあると感じた。
グスマン・キルギズバエフを加えたこれらの勢力が、60kg級の「潮目」を変えた大会になるか、それとも単に荒れた大会という記憶に収まるのかどうかは、この後のツアーにおける彼らの活躍で競技史的な「後付け承認」が為されるかどうかにかかっている。ぜひ彼らの活躍に注目して欲しい。
敗れた永山、ディティールは惜しいが大局を捉えるべき
永山竜樹は準決勝でルフミ・チフヴィミアニ(ジョージア)にGS延長戦の末に肩車を切り返されての浮落「技有」で敗退。詳しくは既にアップした速報レポート記事の決勝戦評に譲るが、この試合の後半は相手の左体側に体を置いての右内股で浮かせてあと一歩という投げを連発。これを餌にして相手の右体側に向かって肩車に座り込んだが、特に得意技はないが「際」は抜群のチフヴィミアニがこれをギリギリで空転させ、押し込んで「技有」を得たのがその大枠だ。
ディティールをいえば、たとえば内股(内側の技)の餌を巻いた後に外側の技、大外刈か払腰で根こそぎ投げつけるべきだったとか、際を作らせる肩車は最適解ではなかったとか、色気のあるたられば話を積み重ねることはいくらでも出来る。だが、大枠として永山が苦手のタイプに、自らのアドバンテージであるはずのパワーで屈した、「力負け」をしていたという大局の観察は外すべきではない。プレビューでは、永山にはかねて自分と同タイプの低身長パワーファイターを苦手とするのではないかという見立てがあり、絞って際に強いパワー派のガンバット・ボルドバータルに喫した2敗はこれに一因があるのではないかということを示させて頂いた。同時に、パワー負けすると突如として主導権を失うということも。これという技はないが身長が高くなくパワーがあり、そして際に強いというチフヴィミアニはまさしく苦手のガンバットの型。そして永山は、最大のアドバンテージであるはずのパワーで、力負けしていた。
そして力負けしたときに永山が、意外なほどに一本背負投や肩車などの「防攻一致の技」(敢えて「攻防一致」とはしない)という選択をし続けたことも少々残念だ。力を逃がして隙間に刃を入れる方法、悪く言えば逃げに回りながらチャンスを探すことを選んだ。この日の永山は相手がよく見えていたが、ライバル髙藤が先に脱落する中、永山らしさを出せなかったことはなんとも悔しい。永山が頭角を現したのは、その豪快な投技はもちろん、何よりファイターであるから。永山のアイデンティティーはファイターであることだと信じる。敢えて、技術的な事情に目を瞑った上で、あの試合は永山らしい投げで勝負に出て欲しかった、と表明してこの拙い評を終えたい。
渡名喜-ビロディド戦は「惜敗」か?
ディティールでは惜敗も、大枠として負けを受け入れざるを得ないということでは48kg級決勝の渡名喜風南-ダリア・ビロディド戦も事情が似ている。
まず、渡名喜がビロディド戦に向けて、しっかり対策をし、武器を練ってきていたことを最大限に評価して敬意を表したい。組み手の構成に、敢えて懐に飛び込む大内刈、そして不発に終わったが高い打点の右袖釣込腰。そして、まことにエキサイティングな、素晴らしい試合であったことにも拍手を贈りたい。前述「音声ガイド」を聞かれた方であれば、私が解説陣の皆さまと「出ろ!」と大声援であの終盤戦を観戦していたことがわかっていただけると思う。また、届かなかったあと1つの「指導」も、東京五輪までの1年を考える上で前のめり、「あと少しで届く」という挑む立場で当日を迎えるられる、と敢えてポジティブに捉えることもできる。
ただ、それでもやはり勝つとすれば今回だった。すべてのリソースを利用して、ただ1回の勝ちを拾うべきだとしたら、今回だった。
まず、あと1つの「指導」まで迫った終盤の押し込みラッシュは、構造的に組まれたものではない。「技有」をリードして追いかけられたビロディドがメンタル面でパニックを起こし、渡名喜の前進に下がり続けがゆえ生まれた、いくつもの要素が積み重なって生まれた、敢えて極端な言い方をすれば偶発的なものだ。人為的なものではない。高身長から奥襟を叩いてくるビロディドに、では次回善戦ではなく勝つ構造が見いだせたというと、残念ながら首を横に振らざるを得ない。あの「押し込み」の形や角度がロジカルなものではなく、結局最後は潰れてしまったこと、詰め切れなかったことはあれが仕組んだ形でなかったからである。もしあの圧倒的前進が戦略的戦術的な策によって演出された「構造」であれば、次回の手ごたえを得た敗戦であったということになるが、これはどうだろうか。「指導」が遅かった、本当は勝っていたというような言説もあまり意味がない。なにより、投げられているのだから文句は言えない(=「指導」が遅い早いということもあまり説得力がない)し、これだけの大舞台で攻撃ポイントを逆転するだけの3つ目の「指導」を引き出すには、常に倍する圧倒的な状況が必要。そこまで状況が煮えていたとは残念ながら思えない。
メンタルパニックによって引き起こされた実力差以上の接戦。これを額面通りに受けとってはいけないのは、例えばリオ五輪決勝のテディ・リネール対原沢久喜戦を思い起こせばわかってもらえるであろう。メンタルパニックを起こした格上相手の接戦が、実力差をそのまま示すというわけではないのだ。
早い時間のリードに下がり始める格上、メンタルパニック、地元の大声援の後押し。ここまで「下駄を履かす」条件が揃った以上、勝ちを拾うなら今回だった。今回の勝ちは、次回再度の「メンタルパニック」の布石になりうる。何より、勝負は勝てるときに勝っておくべきだ。
次回こそ、と思いたいのは筆者も同じだが。この日ビロディドが渡名喜に対する圧倒的なフィジカルのアドバンテージを失ったように見受けられたのは過酷な減量も一因と思われる。173センチという高身長を誇るビロディドはいつかは必ず階級を上げる。上げざるを得ない。それが五輪の後なのか、前なのか、世界選手権連覇を達成した「今」なのか。常識的に考えれば五輪まではこの階級に留まるであろうが、あと1つと迫った、たった1つの「指導」を取り返す機会が、そもそもあるのかどうか。なんとか再戦を願ってやまない。
繰り返していうが、渡名喜選手の試合は素晴らしかった。その上で敢えて、以上の評を呈したい。