eJudo版・平成31年全日本柔道選手権予想座談会「『平成最後の全日本』を語りつくす」

平成31年全日本柔道選手権・展望座談会にて。古田英毅、朝飛大、林毅、西森大
参加者。左より司会の古田、朝飛大氏、林毅氏、西森大氏。

参加者:朝飛大、林毅、西森大
司会:古田英毅

古田 本日司会を務めさせて頂きます、古田です。あらためてよろしくお願いします。昨年初めて行ったeJudo版「全日本選手権座談会」が大変好評をいただいたこと、また、その平成30年度全日本選手権がこの座談会を遥かに超える、本当に素晴らしい全日本であったことで私自身が勝手に大変気を良くしておりまして(笑)、ぜひこの、「全日本を語る」機会を定番化しようと再び皆さまにお集まりを願ったわけです。本日はよろしくお願いいたします。

朝飛西森 よろしくお願いいたします。

朝飛大。朝飛道場館長、慶應義塾大学師範。

朝飛大
朝飛道場館長、慶應義塾大学師範。日本を代表する指導者であり、少年柔道指導の第一人者。自身も昭和60年大会に出場、世界選手権100kg級の覇者羽賀龍之介をはじめ多くの教え子を全日本選手権の場に送り込んでいる。

古田 あらためてお三方を紹介する必要はないかなと思いますが、一応簡単に。朝飛先生は日本を代表する柔道指導者で、全日本選手権にも多くの選手を送り込んでいます。林毅さんはもと「近代柔道」誌責任編集者で、全日本選手権のプログラムを20年以上にわたって、もちろん今年度大会も編集に携わっておられます。選手のインタビューも直接手掛けていらっしゃいますので、ぜひそこで得た情報などもご披露くださればと思います。西森大さんはNHKで長年取材の最前線で活躍して来られて、ご自身も柔道家でいらっしゃいます。皆さん私が足元にも及ばぬ柔道マニアであり、私の困ったときの「駆け込み先」であり、かつ何より名だたる「全日本選手権大好き種族」。きょうはぜひざっくばらんに、ご自分が楽しむつもりで「全日本」を語って頂きたい。それがそのまま、みどころの紹介として機能することになるのではと思います。私は今回も、なるべく口数少なく、司会に徹したいと思います。

朝飛 今日はとても楽しみにしておりました。

古田 お三方の全日本に対する思い入れ、バックグラウンドは昨年度の座談会の冒頭で語って頂いているので、ぜひ読者の皆様にはそちらも読んでいただければと思うのですが、加えて一つだけ。朝飛先生、皇后盃全日本柔道選手権に、次女の真実さんの出場が決まりました(註:座談会は4月16日、皇后盃の5日前に実施)。おめでとうございます。

朝飛 あ、ありがとうございます!怪我をしなければいいな、と思っていたら予選で三位になってしまって(笑)。

 朝飛速夫先生から始まって、三代続けての「全日本」出場です。おめでとうございます!

西森 史上初ですね。次は、古賀兄弟、井上兄弟に続く、朝飛姉妹による同階級の激闘が待っていますよ(笑)

古田 全日本選手権、皇后盃全日本女子柔道選手権ともに歴史を積み重ねて、親子、兄弟、そして今回はご夫婦がいらっしゃってと、こういう話題も増えてきました。親子でいうと、平成最初の優勝者(小川直也氏)の息子さん(小川雄勢選手)が、平成最後の優勝者になるという可能性があるわけですね。

朝飛 昭和の最後のチャンピオン(斉藤仁氏)のお子さん(斉藤立選手)が、平成最後のチャンピオンになるという可能性もあるわけです。

「平成の名勝負」を語る

林毅。もと「近代柔道」誌責任編集者。

林毅
もと「近代柔道」誌責任編集者。30年以上にわたって大会を直接取材し、全日本選手権プログラムの編集に20年以上携わっている。書籍「激闘の轍・全日本柔道選手権大会60年の歩み」では企画・編集を務めた。

古田 というわけで平成最後の全日本。前回は冒頭まず皆さまの全日本選手権への思いを語っていただいたのですが、今回は平成という時代が終わる区切りの大会。ゆえに平成これぞの名勝負、全日本選手権「平成時代の名勝負」をそれぞれ挙げていただければと思います。まずは朝飛先生、お願いします。

朝飛 嬉しいです。私から聞いていただいて(笑)。被ってしまったらどうしようと思っていましたので。

古田 私見ですが、おそらくカブリは避けられないですよ(笑)。

林 私は一応3つ用意しています。

西森 私は4つです(笑)

古田 朝飛先生、存分にどうぞ。

朝飛 私は井上康生さんの試合です。全日本選手権を獲った3回の決勝戦、いずれも「平成の名勝負」として外せません。

古田 いきなり3つ(笑)。平成13年大会、篠原信一さんを破って5度目の出場で初優勝。平成14年大会決勝は棟田康幸さんを僅差で下して連覇、平成15年大会決勝は鈴木桂治さんを下して3連覇。

朝飛 2度目の棟田さんとの試合がとても面白くて。井上さんが一回投げられたんですね。棟田さんが前に出て追い込んで、横にしか逃げれないような状態を作っておいて、井上さんがそちらに重心を移す瞬間にきれいに支釣込足で投げて、それが「有効」になった。でも井上さんがものすごい反射能力で腹ばいに落ちていて、すぐにそれが取り消しになって。

古田 一瞬の攻防でした。棟田さんの支釣込足の切れ味も凄かった。

朝飛 その後が面白い。井上選手が追い掛ける。それで追い掛けて追い掛けて、一度井上さんが内股を透かされて、棟田さんの上を回ってくるっと反対側に落ちたんですね。私が凄いと思ったのはそのシーンですね。

古田 残り時間本当に僅か、凄い攻め合いの中でしたね。

朝飛 私らでさえ、いま、子どもと練習していてさえ、内股は、透かされたらどうしようと思うのに、あの大舞台で透かされることを怖れず、思い切り得意技の内股で投げに行く。テレビの「消えた天才」の中で紹介された井上さんの「落合(功)に透かされたから、内股に更なる磨きを掛けた」という話の通りで、透かされようが何しようが、思いっきりいって、この大舞台で、そして透かされて、それでも相手の体の上を通り抜けるくらい思い切り掛けている。そして最後の最後で出足払で投げたんですね。そこで試合が終わって、結果、2-1の旗判定で勝利した。本当に凄い試合で、見た後に、こういう試合を見られるのが全日本の素晴らしさだなと心底感動したことを覚えています。その前の年、平成13年大会の決勝では、これまで絶対勝てなかった篠原さんと戦いました。それまでは小外刈であったり、大内刈を仕掛けてそのまま返されたりしていて、篠原さんが「10回来たら10回透かしますよ!」と内股を待っている中で、この試合は本当に頭のいい柔道をしました。

西森大 NHKスポーツ番組部プロデューサー

西森大
NHKスポーツ番組部プロデューサー。業界では希代の柔道マニアとしても名高い。ドキュメンタリーの佳作・NHKスペシャル「日本柔道を救った男~石井慧 金メダルへの執念」、「アスリートの魂 どんなときも真っ向勝負 柔道 大野将平」を制作。現在は全日本柔道連盟広報委員も務める。

古田 内股を我慢していましたね。

朝飛 きちんと足技から繋いで大外刈、そして背負投という組み立てを最後までやり抜きました。篠原さんは後半、自分のほうが技が少ないとみて内股透に照準を絞ってしまい、一方井上さんは自分がこれと定めた担ぎ技の攻めを貫き通して、今まで勝てなかった篠原さんについに勝った。あの時の感動も忘れられません。3回目、平成15年大会は鈴木桂治さんとの決勝だったんですが、3週間前に選抜体重別の決勝戦で負けているんですね。そのあと、井上さんが練習のときに学生を呼んで「今日は俺をまわしてくれ」と。「俺のことをまわさないとだめだぞ!」と。毎日立てなくなるぐらいの激しい稽古をした。その成果が、最後の最後のあの内股「一本」に結実したわけですが。あの内股も最後跳ねるときに、ちょっと軸足が危ないんですよね。ちょっと捻っているかもしれないっていう場面でしたが、無理矢理バネであげて。軸足を持って来て投げ切った。執念の現れた技でした。本当にどれをとっても井上さんの気持ちの強さと柔道に対しての姿勢が存分に現れた試合です。古田さんからの宿題は1試合を挙げて欲しいということだったのですが、どれをとってもあまりに良くて、甲乙つけがたくて、「井上康生選手の決勝」ということで紹介させて頂きました。

古田英毅。eJudo編集長。柔道六段。

司会 古田英毅
eJudo編集長。柔道六段。

古田 思い出すだけでどの試合も胸が熱くなります。ベストバウトを挙げる企画ですが、この井上さんが優勝した3大会は、どれも決勝が終わったあとに「いい全日本だったなー」と言える、充実の大会でしたね。

西森 1つ1つの試合に意味があるんですよね。まず最初の篠原さんとの試合ですが、実は全日本選手権というのは「王座の交代」が意外とないんですよね。前の王者が勝って、有終の美を飾って退場するという形が多い、しかしこの平成13年度大会決勝は、井上さんが篠原さんにきちんと勝って、時代を切り開いた。そういう試合であったと思います。篠原さんは前年のオリンピックで不本意な銀メダルという結果で、気持ちが落ちている部分もあったのかもしれませんが、それでもきちんと全日本に出て、井上さんの挑戦を受けてくれて、挑んだ井上さんは勝ち切って自分の時代を切り開いた。新たな時代の扉を開けた、良い試合でした。翌年の棟田さんとの試合は本当に、「井上・棟田時代」が来るのではないかと感じさせられた、ニューヒーロー時代同士の対戦。ただ結果として、あの試合で勝ちきれなかった棟田さんは一度も優勝できずに引退したわけですね。

古田 限りなく優勝に近づいた、振り返ってみれば棟田さんには最大のチャンスでした。

西森 この大会では、井上さんの天運の強さを感じました。先ほどの「有効」の取り消しも、そこは朝飛先生の印象と一緒で、透かされてもいいというぐらいの強い気持ちで、どんどん攻めることで運も、勝利も掴んだなと。それから3つ目、平成15年大会の井上さんと鈴木さんの決勝は、とにかく勝ち上がりにドラマが詰まっていて…

古田 私のベスト大会です!

西森 さきほど朝飛先生が仰った選抜体重別からの流れがあって、同時に役者が揃っていました。

古田 あんなに役者が揃う大会っていうのもなかなかないです。初戦から篠原信一さんと泉浩さんの対戦が組まれていましたね。

西森 決勝を戦った鈴木さんの対戦相手も凄い。生田秀和さん、続いて棟田康幸さん、向川肇さん…あの伝説の出足払ですね。そして準決勝で篠原さん。

古田 半引退状態だったのが、井上さんの3連覇を止めるべく近畿から出てきて。

西森 そうです。学生のために最後に井上康生さんと戦う、と言って出て来た、その篠原さんに鈴木さんが競り勝って決勝へ進出。一方の井上さんの出だしは良くなかったんですよね。でも高校時代のライバル、高山一樹さんに勝って、そして準決勝で森大助さんに払腰を返されて先に「技有」取られて。でも背負投「一本」で逆転勝ちして。そして流れ的に鈴木さんが勝つんじゃないかというその流れの中で、あの素晴らしい内股「一本」。この盛り上がりは凄かった。

古田 篠原さんと鈴木さんの準決勝が終わり、万雷の拍手の中、これで現役引退する篠原さんがスタンドの天理大の学生にぺこりと一礼した、あのシーンは忘れられません。

西森 全日本の名場面ですね。

朝飛 あれは泣きました!

古田 私はもちろん今の仕事をしていたわけではなく、ただのファンだったんですけど、あまりの感激でどうしても篠原さんが何を言うのかが聞きたくて、アリーナ席を立ってプレスルームに行って、こっそりインタビューを聞いてしまいました(笑)。

林 選手時代の篠原さんはどちらかというとマスコミ受けが良い方ではなかったんですが、あのときはメディアの皆さんもこぞって感動して、いつもよりも話を聞きにいく人が多かったですよ。

古田 だから見逃して貰えたのかな(笑)。そしてあの試合のあとの、劇的な内股「一本」決着。まさに神大会ですよ。決勝がおわると、表彰をまたずに、皆一斉に観客席を立ち上がって流れていく時代だったんですが、みんなが口々に「いい全日本だったなー」と言いながら、感極まった表情で帰路につく。忘れられない大会です。

西森 あの年はその後、大阪で世界選手権が開催されたんですが、視聴率も物凄く良かったんですよね。日本の柔道界が一般社会の注目を集めていた、輝いていた時代でした。

林 あのときの井上康生さんは本当に輝いていましたね。その大阪の世界選手権のときに私、格闘技雑誌の編集をしていたんですけど(笑)

古田 柔道ではないんですね(笑)

 そう、柔道ではないんですけど、どうしても井上康生さんのインタビューがやりたくて、「大阪の世界選手権のページを8ページください」と。

古田 無茶だ(笑)

林 通しましたよ(笑)。もうね、漢だな、この選手は、どうしても話を聞きたいなと。職権乱用です(笑)。

古田 去り行くチャンピオン篠原信一、その背中には直接王座を受け継いだ井上康生がいて、ライバルの鈴木桂治がいて、棟田康幸がいる。いずれもタイプ違えどこれぞ日本柔道という思いを託せる「王道の個性派」。本当に日本の将来は明るいな、役者が揃ったなと思える、良い時代でしたね。・・・次の「平成の名勝負」、林さん、お願いします。

 今の朝飛先生ほどの深い考察のない、物凄くファン的な目になってしまうのですが。平成の名勝負となれば、古賀稔彦さんと小川直也さんの決勝戦を外すわけにはいきません。

古田 平成2年大会ですね。激戦7分13秒、足車「一本」。実現自体がそもそも信じられない豪華なカード。大会後に松下三郎さんが雑誌「柔道」で「夢の対決」「現実にはこのような組み合わせになるとは誰も思わなかったのではないか」と仰っていますが、まさにその通りでした。

林 「柔道」が一般のファンにも届いた試合だったなと思います。あれ、古賀さんは東京予選から出ているんですよね。

西森 そうですね。

林 中村佳央さんに負けはしましたが、予選から出て、勝って、権利を得て。いま古田さんが決勝まで進んだことが信じがたいとおっしゃいましたが、もう、そもそも、本戦に出ること自体が考えられないような凄いことだったんですよね。

朝飛 東京では、決定戦で日体大の同期の佐藤博信さんに背負投「一本」で勝って出場を決めた。

西森 その後、準々決勝で後藤竜二さんを横四方固で抑えて、準決勝で中村佳央さんと戦ったという流れですね。

朝飛 本当に巧いんですよね。本戦の準決勝の三谷浩一郎さんとの試合も、三谷さんは出足払が切れるから、角度的にも三谷さんがうまく寄せるのかなと思ったらそういうことはないんですよね。こっちの手が…

林 はい。今だったらルール的に出来ないかもしれませんが、クロスの形でね。絶対にその間合いを崩さない。

古田 一般に響いた試合とおっしゃいましたが、例えばジムで、年配の方々と話していると、いまだに柔道といえば「古賀と小川の試合は面白かったね」と出て来ますからね。

林 視聴率もすごく良かったと思うんですけど、なによりまず観客席に女の子が非常にたくさんいて。アリーナのところの通路に女の子がたくさんいるんですよ。

古田 それは一応お伺いしますけど、古賀ファン?

林 もちろん。この人たちが全日本見に来るの?という若い層で通路が埋まっているんですよ。

古田 面白いですね!昭和の「山下―斉藤時代」に通路が少年柔道ファンで溢れていた、というエピソードを併せて考えるとさらに味わい深いですね。

一同 (笑)

林 高校生とか大学生とか、そのあたりの年代の女性が日本武道館まで柔道を見に来てくれたんですね。

朝飛 古賀さんがオリンピックで金メダル取って帰ってきて、日本武道館で私の横に座ってお喋りしていたら、「どけー、おやじー!」と声がするんですよね。なんだろうと思って回りを見ると、観客席に女の子がいて、こっちに向かって叫んでいる。要は私が邪魔なんですよね。「あ、おやじって、私のことか」と(笑)。

林 まだそんな歳でもなかったでしょうに(笑)。・・・あの試合は古賀さんも凄かったですけど、小川さんも凄かったですね。

古田 消耗を強いておいての大技一撃。真骨頂でした。あの一撃で足車という技を知った柔道少年も多くいたのではないでしょうか。そしてこれはその年の雑誌「柔道」の座談会でも言及がありましたが、最後に小川さんが古賀さんを投げて無差別王者の力を見せつけたから、皆が満足する大会になったのではと思います。ありえない勝利を重ねてきた古賀さんの、その物凄さが、決勝の敗北でかえって際立ちました。

林 そうですね。・・・渡辺浩稔さんとの準々決勝はインパクトがありました。渡辺さん先日亡くなられてしまったのですが。

古田 渡辺さんは大型選手の代名詞でした。

林 渡辺さんは155キロ、古賀さんは減量していなくても70キロ台ですから、倍以上ですよ。これはさすがに無理だろうという試合でしたが、それを乗り越えた。何か効いた技があったわけではないのですが、何もさせなかった。古賀選手のほうも技を仕掛けられる形は作れなくて、渡辺選手は「俺は負けていない」と試合後、ちょっと憤っていましたけれど。

古田 渡辺さんは秋田経済法科大。私は秋田県出身ですが、テレビは、地元のヒーローが古賀さんと対戦ということで結構な騒ぎでした。数少ない、古賀さんがヒールである地域であったと言えます(笑)

西森 まあ、ロマンですよね。前年のベオグラード世界選手権で95kg超と無差別の2冠を獲った世界王者の小川さんと、71kg級王者で、小よく大を制してきた古賀さん。それを真っ向から小川さんが受けて、大が大たる強さを見せた試合ということで非常に見応えがありました。

古田 止め絵ひとつで「これが全日本選手権」と理解してもらうには、あれ以上の試合はないですからね。そして役者が本当に豪華。今でいえば、テディ・リネール選手と大野将平選手が、武道館の真ん中で一騎打ちするということですからね。

朝飛 そうですよね!そう考えると本当に凄い対決ですよね。古賀さんも凄いですが、吉田秀彦さんも…

林 古賀さんは戦略的な巧さがありますが、吉田さんは重量級の選手に「一本」を狙いにいける強さがありました。学生優勝大会で鳥居啓治さんを投げたときなど、もう、凄かった。

朝飛 ああー。

林 3つ考えていた「平成の名勝負」のうちもう1つは、「吉田秀彦対金野潤」なんですけど(笑)

西森 それは、私が喋ります。

一同 (笑)

古田 では、西森さんの「平成の名勝負」お願いいたします。

西森 大学生になって、上京して初めて観た全日本がその金野潤さんと吉田秀彦さんが決勝を戦った平成6年大会です、まあポイントとしては準決勝で吉田さんが6連覇を狙う小川さんを食って上がってきて、これはというところに、ある意味、金野さんがヒールに徹してですね。腋固を繰り出す、蟹挟を打つ、二人で場外際でにらみ合う。闘争心というか、全日本にかける執念というものを強烈に感じましたね。ある意味柔道という格闘技の原点を感じさせてくれる試合でした。

古田 「戦う」という行為自体がなにものであるかと、骨身に響く試合でしたね。

西森 そうですね。だから、全日本はスポーツという枠ではなく、そういう「戦う」本質を含んだ大会なんだということが直感的にわかる試合でした。金野さん、平成3年大会の準々決勝では正木嘉美さんから蟹挟で「一本」取っています。蟹挟で「一本」取れるというのも非常にインパクトがありました。(註:講道館試合審判規定では蟹挟は認められていたが、国内の多くの大会では「申し合わせ事項」として禁じられることが慣例化していた)

林 同じ日本大出身の遠藤純男先生の蟹挟を思い起こしますね。

西森 体格差があるからこそ掛かりやすい技というのもあるわけです。そういった意味で、同体重で戦っている通常の国際ルール以上に全日本には「技」の可能性があって、そういう意味でも魅力を感じますね。

古田 小さいものが、大きいものを相手にするがゆえに決まりやすい技もあるし、大きいものがその体格を生かすがゆえに掛けられる技もある。体重別ではそういう技術を目にすることは難しいですからね。

朝飛 あの試合が終わった後、金野さんはインタビューで、「反則以外のことだったら何をやっても勝ちたかった」と言ったんですよね。(若干ためながら)かっこいいな、と思いました。

古田 執念。全日本選手権とは、一人の男が、そうまでして欲しいタイトルなんですよね。

林 執念。手段を選ばない、という話から。先日、中村佳央さんに話をお聞きしたのですが、彼が東海地区の選手に負けたときの話になって。

西森 佐藤広幸さん?

林 そうです。平成2年大会。そのときの試合を振り返って、重量級の選手が掛け逃げしてくるんだと。重量級の選手が本気で掛け逃げしたら私たちはなにも出来ないよ、と。でもそのときに、全日本選手権というものに対する物凄い執念を感じたと。勝つために手段を選ばない、それだけのことをさせる全日本選手権は凄い大会だと。

西森 中村さんは86kg級の選手ですが東京地区予選を1位で抜けて、本戦での勝ち上がりも期待された。しかしそこでベテランの佐藤さんが立ちはだかった。確か序盤に佐藤さんがポイントに近い技を見せたんですよね。そしたらその後佐藤さんが組まなくなった。

朝飛 重量級と言いますが、彼は本当の意味での「重量級」ですからね。150キロ、160キロの選手が襟を持って、腕を突っ張って、しかも掛けて潰れ始めたら。

林 何もできない。

西森 中村佳央さんに関して言うと、あれだけ凄まじい強さを誇りながら、こと全日本ではなかなか勝ちあがれなかったんですよね。翌年、平成3年大会では山崎茂樹さんの豪快な一本背負投からの大外刈で投げられてしまい、これも初戦(二回戦)で敗れました。

林 やっぱり全日本には何か特殊な磁場があるんですね。

朝飛 吉田秀彦さんも最初は、大迫(明伸)さんに投げられていますよね?(昭和63年大会)

林 中村佳央さんは、その、古賀さんが決勝まで進んだ平成2年度大会は、東京地区予選で優勝しています。古賀さんに勝って優勝したわけですから、いけると思っていたと思いますが、悔しかったでしょうね。

朝飛 三位になった年(平成7年大会)の準決勝も、篠原さんへの小外刈はどちらにポイントが入ってもおかしくありませんでした。

林 中村さんは「俺のポイントだ、今でも悔しい」と仰っていますよ。それで「自分が上がっていたら、決勝ももっと面白い試合が出来た」とも。

朝飛 あのときの決勝カードは?

林 小川さんと篠原さんの決勝です。

朝飛 あ!支えの関節だ。

西森 そうです。支釣込足から腕挫腕固に繋いで、回して抑えました。

古田 というわけで、皆さんから「平成の名勝負」を語って頂きました。ありがとうございました。・・・次に参りましょう。

関連記事一覧