【eJudo’s EYE】五輪で勝つのはどんな選手?/東京オリンピック柔道競技オーバービュー②

文責:古田英毅
Text by Hideki Furuta

圧倒的な勝ちぶり、そして立ち振る舞いで世界を魅了した大野将平。

オーバービューその1では、この5年間の柔道競技の変化、特にワールドツアーの爛熟が世界に何をもたらしたかと、対立軸である(本来そうであってはいけないのだが)ワールドツアーのレベルアップをよそにどんどん細っていく日本、といったことをまず書かせて頂いた。

ここでは、階級別の「読み」をお届けする前に、共通認識として「五輪でどんな選手が強いか」ということを確認しておこうと思う。

実はリオデジャネイロ五輪の開幕前にもまったく同じテーマで書かせて頂いている。ワールドツアー制度が始まって初めての五輪であったロンドン五輪で何が起きたかを見つめなおし、そこから導き出した傾向をリオ大会の「読み」として書き出してみたものである。確認のため今回再読したのだが、結果としてはこの読み、驚くほど当たっていた。当時掲げたテーマは、以下である。

1. 全員がハイコンディションでやってくる
2. 大会フォーカス力の高い選手が強い
3. 上り調子×情報が少ない選手が面白い
4. 具体的な上昇装置を持つ選手は「化ける」
5. 強者の長所がフィジカルの場合は優位継続
6.国籍変更選手に注目

内容が重複するものもあるので、ここではまず1、3、4、5に関して語りたい。

「全員がハイコンディションでやってくる」

<誰もが一段も二段も強くなる軽量級の「サイボーグ戦争」を制したのはベスラン・ムドラノフだった。>

全員が常の大会とは比べ物にならないハイコンディションでやってきて、平時の序列があまり参考にならなくなる。これは特にコンディションに左右されやすい軽量級で顕著であった。リオ五輪の初日、男子60kg級のトーナメントが一巡りした段階で、全員の体の力が一段も二段もあがってあたかもサイボーグ化しているかのようなその様相に戦慄したことをよく覚えている。あの身体能力の鬼・髙藤直寿がそもそもの体の強さ・速さで置いて行かれてしまっていた。ちなみにリオ時は「番狂わせが起こりにくい柔道競技にあってロンドン五輪で前年の世界選手権優勝者が勝ったのは、14階級中4階級のみ」と五輪という大会の「荒れる」傾向を表現させて頂いたのだが、実はこの数字、リオ五輪でもまったく同じ(大野将平、テディ・リネール、パウラ・パレト、ティナ・トルステニャク)であった。五輪で参考になるのは、やっぱり五輪なのだ。

「上り調子×情報が少ない選手が面白い」

<リオ五輪66kg級を制したファビオ・バジーレ。今思えばかすかながら、爆発の兆候はあったのだ。>

当時の言葉を借りれば「上り調子の選手が強い、かつ情報が少ない『今出て来た』ばかりの新進選手が急加速するという傾向」。ただでさえ、4年に1度しかない五輪は長い目で見てキャリアの上り調子がここにかち合うかどうかが非常に重要。そしてワールドツアーの爛熟で互いの情報が知れ渡るようになった現代であれば、なおのことその予想を上を行く伸びしろを示す選手、情報はないが伸び盛りの選手が当日優位に立つのはよくわかる。さきほど、柔道競技は番狂わせが少ないと書かせて頂いたが、ワールドツアーによって選手の平均レベルが上がってそもそもの実力が接近したこと、そしてあまりにも全員がフォーカスし過ぎる一発勝負属性が高すぎることで、五輪の「荒れる」傾向はさらに高まるのではないかと思う。

リオ時は「マクロな視点でキャリア上の『旬』にあることと、ここ数か月で突如階段を駆け上がって来た短期スパンでの『上向き』にあるかどうか、この2項を掛け算出来る選手は注目しておくべき」とも書かせて頂いた。だから、前年秋の欧州U-23を制し、3月にコンチネンタルオープンを初制覇し、3月にはその勢いのままグランプリ・トビリシで決勝まで進み、4月の欧州選手権で3位に入ってひたひた力を蓄えていたファビオ・バジーレ(イタリア)の存在をマーク出来なかったことは、筆者にとっていまだに痛恨である(大会過密期の3月後半にトビリシ大会を映像で見られなかったことが致命傷だった)。今回は「化けそう」な選手を「各階級概況」でなるべくきちんと書き出させて頂いたつもりである。ぜひ読者にも一緒に、誰が来るのかを考え、五輪を楽しんでもらいたい。

「具体的な上昇装置を持つ選手は”化ける”」

<ロンドン五輪66kg級を制したシャウダトゥアシヴィリ。所謂ワールドツアー大会の出場は直前のグランドスラム・リオ1大会(3位)。当日は得意の隅返一本槍で頂点まで駆け抜けた>

当時はロンドン五輪におけるラシャ・シャウダトゥアシヴィリをイメージして書かせて頂いたはずだ。相手の知らない得意技、あるいは力関係に関係なくタイミングや重心移動を捉えさえすれば掛かる技(足技、特に払い技などはこの代表格)というような具体的な梯子を持った選手は常にジャイアントキリング、あるいは「確変」の可能性を孕む。逆にどこまで地力を上げた選手でも、柔道の内容が順行運転タイプではなかなか「その上」は望めない。

そして。ワールドツアーの爛熟で情報の巡りが良くなり、互いを知悉するようになったゆえか、かつてよりも「新しい技術」のアドバンテージは増していると感じる。ツアーにおいても新たな技術を持ち込んだ中堅以下の選手が同じ技で連勝し、突如決勝ラウンドに絡むところまで残る(経験上、なかなかメダルに届くところまではいかない)事態は頻発している。情報が行きわたったからこそ、「知られていない」技術のアドバンテージが相対的に大きくなっているのだ。

これに関してはリオ五輪の事例を挙げるよりも、日本女子代表の増地克之監督がコロナ禍の1年で「少なくとも1つは、周りに知られていない技を身に着けて欲しい」と代表選手にオーダーし、どうやらそれが上手くいった(「選手によっては十分実戦で使えるレベルにある」とのこと)というエピソードを紹介しておくほうが面白いと思う。先日の取材会では「楽しみにしておいてもらいたい」とまで語っていた。日本の女子は、強い。その強い日本女子が全員にターゲットとされる中で「荒れる」前提の五輪本番を勝ち抜くには、相手の研究を上回る具体的な伸びしろが必要だ、ということであろう。これに関しては、とにかく本番を楽しみに待ちたい。

「強者の長所がフィジカルの場合は優位継続」

<フィジカルが強ければ、狙われても、荒れても最後まで強者が勝ち抜ける。テディ・リネールはこの法則に綺麗に嵌った選手でもある。>

ロンドン五輪では、ターゲットとされる選手、たとえば前年度世界選手権優勝者のアイデンティティが「技術」や「戦術性」のみでなく、「フィジカル」にあった場合、それも階級ナンバーワンレベルにフィジカルが強かった場合には強さを継続することが許されるという傾向があった。勝利濃厚と目された女子軽量3階級にあって日本で最後まで勝ち残ったのが、そもそものフィジカルで階級内ぶっちぎりのナンバーワンであった松本薫のみであったことなどに、この点端的である。リオでもこの傾向は綺麗に続いたと思う。当てはまるのは前述の「前年度世界選手権から生き残った4人」の大野将平、テディ・リネール、パウラ・パレト、ティナ・トルステニャク。これに優勝候補の筆頭格と評されていたケイラ・ハリソンとマイリンダ・ケルメンディを加えても良い。

今回であれば阿部一二三や大野将平にテディ・リネール、ダリア・ビロディド(調整的にちょっと疑問符がつくが)、阿部詩、クラリス・アグベニューがこれにかなう選手と思われる。新井千鶴と濱田尚里、素根輝がボーダーラインというところか。

「当日、異常に巻き上がる選手がいる!」

<エミリー・アンデオル。気合いが入り過ぎて顔がグシャグシャになっていた。>

これは1~4を包含する新たな(というか整理しなおした)トピック。当日必ず、異常に巻き上がる選手がいる。リオでは78kg超級のエミリー・アンデオル(フランス)と73kg級のファビオ・バジーレ(イタリア)がそれであった。(ここに田知本遥さんを加えて良いかもしれない)

才能はあるがムラ気でむしろビッグゲームに弱く、メンタルに弱点ありと思われていたアンデオルは当日、初戦から明らかにおかしかった。気合いが入り過ぎて奥歯を食いしばるあまり感情と顔の筋肉の動きが噛み合わず、表情というか顔のデッサンがグシャグシャになっていた。周囲の空間の密度が歪んで見えるようなあの感じ、以降筆者が目撃した中では2019年東京世界選手権準決勝でライバル阿部一二三を相手に試合中怪我を負ってしまった丸山城志郎の様が、辛うじて迫るくらいか。アンドルがほぼ無印から金メダル獲得を果たし、試合後も感情と顔のミスマッチが治らず表彰台で「笑い泣いて」いた、あの様子は忘れがたい。人は気持ちひとつでここまで変われる、そして人をここまで変えさせるのが、五輪という舞台なのだ。

<バジーレの挙動は序盤戦からスタッフの間でも話題であった。>

バジーレ。筆者は当日アドバイザーとして中継車の中にいたのだが、会場のアリーナレベルにいる同僚から「古田さん、いったいこのイタリア人は何者?」と連絡が入ったことをよく覚えている。あまりの集中力のため回りの風景がまったく見えておらず、幾度止められても前をまっすぐ見つめたまま試合エリアに侵入し続けて困っている、と。気合いを入れるために自らの体を叩き始めたところが止まらなくなってしまってコーチに羽交い絞めにされている、とも。これはこの選手何かを起こすかもしれない。「気にかけておくよ」と答えて濃く試合を見始めたのだが、結果はご存じの通りである。まさか海老沼匡とアン・バウルの世界チャンピオン2人が上位戦に勝ち残る厳しい戦いを勝ち抜いて、金メダルを獲得してしまうとは。

今回も必ず、当日異常に巻き上がる選手がいる。それはいったい誰かという視点で予選ラウンドをウォッチしても良いくらいだ。

「五輪に強いロシア」

<81kg級を制したハルモルザエフ。なぜあの日この人が表彰台の真ん中に立てたのか。ロシアの五輪戦略は奥深い>

これも繰り返し書いて来たトピック。今見ると当時のコラムでは省かれているのだが(どこかで必ず書いていると思うが)、筆者が国内放送メディア向けに幾度か行った勉強会の資料を確認すると、やはりかなり濃く描写されている。

五輪のロシア男子は、強い。五輪勝利に必須とされるピーキングが抜群に上手いのだ。

2008年の北京五輪終了以降、ロンドン五輪までに行われた世界選手権は3大会。ロシアはこの延べ21階級のうち金メダルを2つしか取っていないのだが、本番のロンドンでは7階級で金メダルを実に3つ攫った。60kg級のガルスチャン、73kg級のイサエフ、100kg級のハイブラエフ。

ロンドン以降の3年間、のべ21階級でロシア男子が挙げた金メダルは「ゼロ」。しかし本番のリオデジャネイロ五輪ではきっちり7階級で2つの金メダルを獲得している。60kg級のムドラノフ、81kg級のハルルザエフ。

この2人の以後のワールドツアーの戦いぶりを考えるに、確かに強いは強いのだが、もう1度世界チャンピオンになる素材だとは少々考え難い。率直に言って「本当に五輪獲ったんだっけ?」というのが正味の感想。ロシアは、ピーキングが上手い。両大会とももっともコンディショニングが重要とされる60kg級で金メダルを攫っていることにこれは端的だ。ロシアは我々が知らない「何か」、奥行きの深い五輪カスタムのノウハウを明らかに持っている。(その「何か」のせいで今回は国でなく連盟枠の出場なんじゃないの、などという野暮は言いっこなしである)

そして東京五輪。過去3年の世界選手権、ニイヤズ・イリヤソフやミハイル・イゴルニコフをプロテクトしたこともあるのだろうが、延べ21階級でのロシア男子の金メダルはまたもや「ゼロ」である。ただしロシアは明らかに、五輪にフォーカスしてかなりの調整を行っていた。本来五輪が行われるはずだった2020年7月の本番はキャンセルされたが、コロナ明け最初の大会となった2020年10月のグランドスラム・ブダペストでロシアは7階級中実に5階級で金メダルを獲得した。彼らは明らかに「やって」(※ドーピングのことではない)来ていたのだ。

加えてこの不可解な代表選考。大方の予想に反し、60kg級はヤゴ・アブラゼ(おそらく代表を外された後にブタペスト世界選手権で優勝した)でなくロベルト・ムシュヴィドバゼを、73kg級にはデニス・イアルツェフではなくムサ・モグシコフを、81kg級にはアラン・フベトソフを、そして100kg超級はイナル・タソエフを外してタメルラン・バシャエフを選んだ。Judoinsideさんと「ロシアはいったい何を考えているんだ?」とメッセージを交わしてあらためてその奥深さに戦慄したことである。(ちなみに、髙藤選手の付き人である伊丹直喜さんは事前にロシア代表全階級を当てていたそうである。なぜそうなるのか。聞きたいことが山ほどある。次お会いしたときにぜひお願いします)

2018年冬、井上康生監督に60kg級の五輪で警戒すべき選手を聞いたらば、まずムシュヴィドバゼの名を挙げてくれた。理由は「ロシアの選手だから」。かように、五輪のロシアの恐ろしさはプロフェッショナルが認めるところなのである。五輪におけるロシアの、特に男子の出来に刮目すべし。

予想より長くなってしまったが、前提として語らせて頂くのは以上である。以降は存分に、各階級の「読み」をお楽しみ頂きたい。初日の男子60kg級と女子48kg級から「階級概況」と「有力選手名鑑」、随時公開していく。

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